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2008年08月23日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

ママはインディだったから・・・

ママはインディだったと思うし、ある意味、今でもインディな部分がしっかりある。

●ところでインディって?



  インディ = インディペンデント (independent) = 自立した、独り立ちした

という意味。

これを命名したのは、経済評論家としても人気がある勝間和代さんの「インディでいこう!」のはず。
(この本は、下記のように書名を変えて(内容もアップデートして)出ていますので、ご興味ある方はぜひ読んでみてください。)

勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 022)勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 022)
(2008/03/01)
勝間 和代

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この中で勝間さんはインディの条件として
   1.年収600万円以上を稼げる
   2.自慢できるパートナーがいる
   3.年をとるほど、すてきになっていく

という3つをあげているのだけど、ママが完全に当てはまっていた(あくまで過去形)のは、1番のみ。

●でもやはりママはインディだったと思う



ママがインディだったと思うのは、少なくともウェンディではなかったから。

ウェンディの本の中での説明は、
   ピーター・パンのヒロインのウェンディのことで、独立することを避けて子供のままでいたい
   という気持ちをもった、要は依存心の強い、インディとは反対の人

なので、ママには全く当てはまらない。

多分、私のイメージでのインディとは、経済的・精神的に自立した人 なんだと思う。
そういう意味で、ママはインディだった。

●ママの生い立ちと家族



ママは18歳の頃、父(私の祖父)を癌で亡くし、無職の母(私の祖母)と、中学生と小学生の妹2人を養っていかなければならなくなった。合格していた東京の大学も入学金が払えず、入学取り消しとなってしまい、アルバイトで家計を支えた。
1年後、奨学金を受けて、一番お金のかからない地元大学に入り、アルバイトをしながら2年コースを卒業し、小学校の教員となった。(当時は教員不足だったため2年コースがあったらしい。また奨学金は5年間教員をすれば、返還不要になるものを利用した。)
当時、女性が男性と同じように働ける職場として、ママは教員の道を選んだ、と。

小さい頃、祖母から、その当時の話は聞かされていた。祖母は、ママにかわいそうなことをした、とよく言っていた。

ママは家族を養っていくために、家に残って教員の仕事を続けた。
そして父と結婚し、私という子供を授かった。
が、私が3歳の頃、父の勤めていた会社は倒産した。父は、その後、職や住所を転々とするようになり、家を離れた。借金を抱えては、母に金を無心するために、年に1,2度戻ってくるという生活となった。
私が15歳の頃、家に戻ってきた父は、そのまま家に居着き、仕事をせず、昼から飲み歩くというプー太郎生活を続けるようになった。(結局、父は死ぬまでそうしていた。)

そんな中でママは、一家の大黒柱唯一の稼ぎ手として教員を続け、家族を養い、私を大学まで出してくれた。

●ママのがんばり



子供の私から見ても、ママはがんばっているなあ、と思っていた。

食事作りは祖母の担当だが、買い物はママがよくしていた。
当時、うちには車がなかったし、祖母は自転車に乗れなかったので、近場しか出歩けない。それでママが学校から帰る途中、買い物をしていた。

そのため、学校には遅くまで残れないから、家に帰り、夕食を済ませてから、ママは夜、毎日、テストの採点や、授業や宿題で使う問題の作成なんかをしていた。

私も小学生の頃から、ガリ版刷りや採点の集計や算数の文章問題作成なんかを手伝っていた。手伝っていたというより、手伝わせてもらっていた、というのが正しい。
なぜなら、私はママと一緒にいたかったから。ママもそれをわかってか、自分でやった方が遙かに早く終わるのだろうけど、私の手伝いを拒まなかった。

その頃は、土曜日まで学校があったから、休みは日曜日だけ。
でもママはその日曜日も、学区内の行事(ドブ掃除なんかが多い)があれば、必ず一緒にやっていたので、午前中は家にいないことも多かった。

朝は朝で早かった。
ママはよくこう言っていた。
まだ誰も来ていない学校に行って、自分で門を開けて、花壇に水やりをして、子供がやって来るのを待つのが好き。

●そしてママは校長になった



ママは少しずつ昇進もしていき、教頭になり、最終的には、当時まだ少なかった女性校長になった。

「校長先生って何やるの?」という私の質問に、ママは
学校の方針を決めたり、何かがあれば、その対処を決めて指示したり、人に会ったり。
 先生を褒めたり、叱ったりすることもあるよ。
 暇そうに見えるけど、学校内のことは、最終的に自分が決めなければいけないし、責任も取らなけ
 ればいけない。校長が迷うと、学校のみんなが困ってしまうから。

と言っていたのを思い出す。

ママは家の中でも、職場でも、どんどん自分で考えて判断していかなければならない立場になっていた。

でも、それはママが二十歳前からずっとやってきたことだし、決して苦痛ではなく、むしろ、その方が楽だったに違いない。

そしてママは定年退職を迎えたとき、その退職金で、家を建て替えた。
父と一緒に図面を引き、自分たちの老後に暮らしやすいであろう家を考え、2階建ての古い家は、平屋のバリアフリー住宅となった。

●ママの背中を見てきた私



私は、ママと、そして自分の家族から、
  親や夫に頼ることなく
  自分と自分の子供が生活していけるだけの経済力を持たなければならない
ことを自然と学び取った。

そして、働き続けることの大切さ も。
だって、ママは辞めることなく働き続けたからこそ、最後に校長になれたのだから。

だから、私にとって、働くことは、まず最低限の経済力をつけるためのものだった。
実際、私は、学校を卒業以来、ずっと働いている。
私の場合、ママのようにフルタイム&教員一筋ではなく、働き方や働く時間を変えては来たけれど。

●私が持つ恐怖と、ママの影響



ママが途中で辞めないで得た結果を見てきたから、そして父も見てきたから、
実は、私は、仕事を完全に辞めてしまうことへの恐怖
が人一倍強い。

在宅介護社長業。そのどちらか一つだけを選べないのは、この恐怖が根本にあるから。

こう考えてみると、私の人生は、ママの影響が極めて大きい。
「子は親の背中を見て育つ」とは、よく言ったものだ。

ママがインディだったから、やはり私もそうなる方を自然と選んだ。
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Author:kiyomi
認知症の母(要介護4)の介護で、4年半前から東京(自宅)~岡山(実家)を往復するも、心身共に疲れ果て、ついに2010年7月月末、経営していた会社の東京オフィスを閉鎖し、地元に一元化。
この経験から、もっと介護情報を流通できれば、もう少し介護生活を楽にできるのではないかと、2009年12月、倉敷市くらしきベンチャーオフィスにて、株式会社ハートバードを設立。2010/2/5、岡山県の介護・シニア・福祉情報ポータルサイト「介護ん!」運営をスタート。2012年3月、NPO法人介護ん設立。
性格は、良くも悪くも、呑気、楽天家、マイペース。趣味は草花を見て歩くこと。
ブログ開設:2008年7月4日
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