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◆TVオンエア!! 2010年1月13日(水)KSB瀬戸内海放送「KSBスーパーJチャンネル」内の「今日の特集」でハートバードの活動が紹介されました。→ママ込みのTV取材
2009年12月10日「株式会社ハートバード」「非営利団体 心の鳥」を「倉敷市くらしきベンチャーオフィス」にて設立しました。→オフィス開き&会社設立記念パーティ

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2010年12月31日(金)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

何とか「起」に漕ぎつけた1年、来年は「整」

無茶苦茶早かった1年。
今年ももう大晦日。それもあと少しで来年。
ということで、今年を振り返ってみた。

●昨年の今日



ちょうど1年前のブログのタイトルは 『「再」を実現できた1年、来年は「起」』。

ちょうど新しい会社「株式会社ハートバード」を設立した頃だった。
だから、この会社が「起きる。おこす。立ち上げる。はじめる。動き出す。」という意味を込めた。


●長いトンネルがさらに暗くなっていった日々



七転び八起きと書けば、聞こえがいいけれど、本当に転んでばかりの1年だった。

1月14日のブログ「スタッフのモチベーションが次につながる ~テレビで報道された!~」にも書いたとおり、活動を始めたばかりのハートバードを、KSB瀬戸内海放送「KSBスーパーJチャンネル」の「今日の特集」で早々と報道していただいた。

2月には、岡山県の介護・シニアのポータルWebサイトを目指した「介護ん!」を、自分の誕生日にプレオープンすることができた。

でも、この後は失速。
実は、この時点でも、介護と仕事との両立は厳しかった。

2月末、東京の会社は、今までよりも小さいオフィスに移転した。
移転に伴う作業やもろもろのことで、ストレスは相当たまっていった。

春になった頃から、今までゆっくりと進んでいたママの認知症が、ガクンと悪くなった
ママは体が動く分、いつ、どこで、何をしでかすか、わからない。
ちょっと目を離したスキに、何かが消えていたり、冷蔵庫にあるべきものが食器棚やタンスにあったり、と。
食べたことをすぐに忘れ、「おなかが空いた」攻撃も。

3月にはブログ「今回の治療で「一生もの」にしてください ~ママの歯医者は私の極度のストレス~」の通り、折れたママの歯の治療も加わり、介護ストレスはたまる一方。
ママが激しい下痢に見舞われた時は、「もう私の方が先に逝ってしまうかも」と追い詰められた。

7月、東京で暮らしていた夫が、ワンコと共にやって来た。
夫なりに覚悟をして来たであろうが、やはり認知症の介護は難しかった。
ママと夫の板挟み状態になり、疲れ切っていった。

もう一つ、7月はさらに大きなストレスとなるものがあった。
東京のオフィス閉鎖

この頃の私たち親子は、だれから見ても、もう「共倒れ」状態となっていた。

8月、一足先に東京から実家に戻ってきた私に続き、再び、夫もやって来た。
ママと夫の板挟み状態はさらに度を増し、家庭崩壊状態に。
ついに私は限界を悟った

もう、これ以上はママと一緒に暮らせない。

意を決して、ママを老人ホームに預けることにした。
そして9月のある朝、ママはいつものように私の見送りでデイサービスの車に乗り込んだ。
でもママは、ここには帰って来ない。デイサービスが終われば、老人ホームだ。
あの日のことを、私は今でも忘れられない。ママの乗った車の窓が閉まるまで、どんなに長く感じたことか。


●曲がりなりにも実現できたかな?「起」を



私はよほど疲れがたまっていたのか、ママが老人ホームに入った後も半月以上、体調が芳しくなかった。
それでも、少しずつ前を向いて歩くことができるようになっていった
少なくとも、絶望を感じた日々とは違ってきた。

9月末、それまで温めてきた構想「写真deぬり絵」のサービス開始にやっと漕ぎ着けた。
さらに9月には、コンテスト等の応募書類も書いて提出した。

それが11月になって実を結んだ。
2つの賞の受賞!
 ・「ベンチャー・ビジネスプランコンテスト」(岡山県)で 審査員特別賞 
 ・「おかやまIT経営力大賞」で チャレンジ特別賞

この受賞を通じて、多くの方々と知り合うこともできた。
何よりも、私自身のモチベーションを上げてくれた

こんなわけで、今年は最後の方になって、やっと「起」を実感できた


●来年は「整」を




やっと起き上がったものの、自分のことだけに、今のことだけに精いっぱいだった1年。
目の前の必要最小限のことだけをやり、解決しなければいけない、多くのことを積み残してしまった。
会社も家の中も混乱、というか混沌とした散らかった状態

これからを考えるにしても、まずは、今までの整理整頓から。
私の身体も
私の机の上も
部屋の中も
オフィスも
そして、身の回りすべてを。

整える

だから、来年の漢字は、「  」。

--------------------------------------------------------------------------------

本当に本当にありがとうございます。

今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。

心豊かな、夢と希望にあふれた年となりますように!

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テーマ:認知症の介護 - ジャンル:福祉・ボランティア

2010年06月15日(火)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/14のツイートまとめ

kiyomi_i

雨上がりの朝は、緑がキラキラ。晴れ。夜の蛙の声は、朝、小鳥の声に変っている。でも、これから雲が増えるのかな? 1週間の始まり。気分を新たにして! #ohayo #okayama
06-14 06:59

今日の良かったこと 1.昼寝ができた(1週間前は認知症ママゴンの下痢でてんやわんやだったから) 2.家の中で聞く雨音が心地良かった 3.ゆっくりできた分、余裕を持ってママに接することができた お休みなさい。
06-14 00:01



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2010年06月14日(月)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/13のツイートまとめ

kiyomi_i

@MsMGordon @ykits 昨日とはうって変って雨の1日で、ここまではっきりと「梅雨入り」がわかるのも、ある種、気持ちいいです。雨どいからの水を受ける70Lのバケツは朝の時点で満杯。夜は庭に出ると、蛙の声がよく聞こえます。
06-13 23:59

寝坊。9時半に起きた。明け方、認知症ママゴンに起こされ、1時間ほどウトウト→起こされる、を繰り返していたけど、雨降ってるし、日曜日だし、と、その後、爆睡。東京在住の夫からの長いコールで起こされた。「もしかして死んでるのかと思った」と。心配してくれたんだ。感謝。 #ohayo
06-13 10:09



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2010年06月13日(日)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/12のツイートまとめ

kiyomi_i

今日の良かったこと 1.気持ちが上向きになった 2.梅雨前の貴重な土曜日が晴れてくれ、洗濯物がいっぱいできた 3.今日もtwitterで多くの励ましをいただいた 4.昨日の頭痛がだいぶ良くなった  お休みなさい。
06-12 23:51

ご苦労わかります。親子だから余計そうなんだと思います。 RT @haruru1815: @kiyomi_i (中略)自我を通そうとする母に目を瞑らないといけない状況は、かなりストレスが掛かります。1番辛いのは母なんだと頭で納得しつつも、心の中で「違うでしょ」と突っ込みを入れている
06-12 23:45

@cyottun フォローありがとうございます。介護現場のドキュメンタリー映画『ただいま それぞれの居場所』(bit.ly/cJELbh )は観ましたか?良かったです。介護職の方は元気を与えてもらえるようです。残念ながら名古屋は上演終了ですが、自主上演もできるようです。
06-12 23:26

私もこの言葉を自分に聞き続けようと思います。 RT @satochikarei: 自分に「今ベストを尽くしている?」と聞き続けると、何があっても次に向かうエネルギーが湧いてくる。
06-12 23:17

ご近所さんが夕方、まるで私の帰宅を見計らったように、寄付金の集金にやって来た。「何時間か前に来たら、留守だったけど、洗濯物が干してあったから、きよみちゃんがこっちに戻っていると思って。何回か見に来たら、洗濯物がなくなったから、今度こそ帰って来たと思って来たの」と。ご苦労様。
06-12 22:47

今日は精神面が上向きになってきたのを、久々にはっきりと感じている。認知症ママゴンの下痢騒動が一段落したからか、3日ほど前から「十分に達成可能な小さな目標」を作って実行したからかは、よくわからないけど。明日はママのデイサービスが休みで、私と1日ベッタリ。気持ちを維持できますように!
06-12 22:39

先ほど「これはうれしい」と、介護施設の総量規制撤廃ニュースを紹介したが、私の住む倉敷市でも特養待機者は増加の一途で、2009年10月末現在、待機者は総定員の1.7倍。それも在宅待機が61%。この中に働きたくとも働けない介護家族が何人いることか。 #kaigo #kurashiki
06-12 15:39

梅雨前の最後の晴れを活用して、布団干しに、マットやシーツ類の洗濯。スペースの都合上、一度に全部干せないから、休日の晴れは貴重。認知症ママゴンの介護していると、洗濯物も増えるし、ね。 #kaigo #kazokukaigo #okayama
06-12 12:50

生活保護を受ける世帯が最多に→http://bit.ly/90lSVp 私の周りでも親の介護で仕事を辞めざるを得ない人が相次いでいる。親が介護施設に入居できれば、子世帯は働きやすくなる。その意味でもこのニュースはうれしい→http://bit.ly/aFpGgY #kaigo
06-12 12:19

@kazuyasuda2009 @tacky2008 @101403101010 @tanakamiho65 ありがとうございます。十分達成可能な小さな目標は、効果がありました。3日前より気持ちが上向きに。認知症ママゴンの介護生活で、自分に焦らないよう、小さな一歩を重ねます。
06-12 07:41

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2010年06月12日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/11のツイートまとめ

kiyomi_i

認知症ママゴンの介護と仕事との両立が難しいと悩み、気持ちだけ焦るけど、心も体もついていかない私。ふと思った。完全な無気力になるより、別に仕事じゃなくてもいいから、「今日はこれをやってみよう」と、十分に達成可能な小さな目標を1日1つか2つ決め、やってみれば、そのうち出口が見えるかも
06-11 08:01

今朝は麒麟草と南天が開花。きれいな青空。 #niwa #okayama
06-11 07:33



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2010年06月11日(金)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/10のツイートまとめ

kiyomi_i

今日の良かったことで思ったこと。家族が無事に一日を終えられたこと。いるのが当たり前、元気なのが当たり前、と思っていても、本当はそれは当たり前ではないから。だから、それは、とってもありがたい(有り難い)こと。お休みなさい。
06-10 23:27

今日の良かったこと 1.朝、認知症ママゴンが久々に自主的に起きてくれた。 2.フライングソーサー(朝顔の品種)の一番花が咲いた 3.半月ほど前から「摘もう」と思っていた庭の梅をやっと摘めた 4.一緒に仕事をしてみたいと思っている方々が、わざわざ打ち合わせに足を運んでくださった
06-10 23:23

@haruru1815 認知症ママゴンを介護する生活になって、もう2年10カ月経ちます。それでも、毎回、試行錯誤ばかり。介護って、自分の生活、家族の生活、等々、自分とその周りの多くが変わってしまい、「不惑」には程遠いです。
06-10 23:03

@ramunepapa 今さっき、テレビ(とくダネ!)を見ていて、お姿拝見しました。びっくり!お活躍の様子、何よりです。
06-10 09:31

今朝は梅の実を摘みました。熟してから取ろう、と思っているうちに、ずいぶん遅くなりましたが、摘んだ梅の何個かポリポリ。この酸っぱさがいいです。おばあちゃんは昔、摘んだ梅を梅干しにしていましたが、さて、どうしようか?
06-10 08:22



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2010年06月10日(木)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/09のツイートまとめ

kiyomi_i

@osorao 安全か自由か。以前は職業柄、ネットワークセキュリティでこういうことを話していたのですが、今はこの話題がそのまま、家の中での自分・家族の安全性に変わりましたが、その中庸をどこに取るかが難しいですね。 #kaigo #kazokukaigo
06-09 23:54

@toraneko_tw @ikechan0609 @SWMaachan @aiminat @gottender @sarasoujunohana ご心配&応援、ありがとうございます。認知症ママゴンの下痢が治り、日常が戻ってきました。ゼロになった心の余裕が、やっと出てきました。
06-09 22:42

@sarasoujunohana お母様、お姉様共に心配ですね。「介護のコペルニクス的転回」・・・私自身にも、まさしく必要な気がしました。 #kaigo #kazokukaigo
06-09 22:17

@daigo7 「今日の良かった事!」ってすごくいいですね。私もさっそくマネさせていただきます。1.認知症ママゴンの下痢がほぼ完全に終息 2.ママが「ありがとう」と言ってくれた 3.庭で朝摘みしたビワがおいしかった 4.庭で夕摘みしたシソを具にした味噌汁をママが全部飲んでくれた
06-09 22:13



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2010年06月09日(水)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/08のツイートまとめ

kiyomi_i

いくら自分が切羽詰まったからと言って、認知症ママゴンを入院させたいとは、いかに安易な考えだったか反省。 RT @m_i_marines: @kiyomi_i 高齢者の特養ホームや養護施設では、なかから、勝手にでられないように、カギがかけられています。また、精神科の閉鎖病棟は、さら
06-08 22:02

@m_i_marines そうですよね。手が荒れるうんぬん以前に、衛生面でも介護用ゴム手袋使った方がいいですね。今度からそうします。考えてみれば、休日に1~2時間、まとめて庭いじりする時は、使い捨て手袋使っているのに・・・。 #kaigo
06-08 21:47

おかげさまで認知症ママゴンの下痢、かなり終息に近づいてきた感じです。ご心配おかけしました。今回のことで、たくさんの学びを得ました。今は「ほっとした」気持ち、関わってくださった方々への感謝の気持ちが強いものの、何もヤル気が起きません。明日は、ハツラツした気持ちになれますように!
06-08 21:15

昨日、病院で認知症ママゴンの様子を見ていたお医者さんは「認知症の人の入院は、一般病院ではかなり難しい。例え入院できても、体が元気な分、徘徊等の心配があるから24時間付き添ってください、ってことになりますよ。」と言われた。本当に看護師さんたちも苦労していたし、これが現実だなあ。
06-08 08:16

昨夕、病院から戻った認知症ママゴンを寝床に残し、残りわずかとなったトイレ掃除道具やら、諸々のものを買いに行った。「備えあらば憂いなし」。ママの下痢に対する備えが、ほとんどなかったから、これだけ慌て、絶望したことに気づく。トイレ洗いなどの常備品が揃っただけでも気持ちがだいぶ安定。
06-08 08:12

昨日、認知症ママゴンを連れていった病院では、ママの治療拒否は相当なもので苦労したけど、看護師さんたちが根気よく付き合ってくださった。感謝。結局、朝10時半頃、家を出て、主治医→病院で、戻ってきたのは17時過ぎ。すごく疲れたけど、朝の取り乱した気持ちが、少しおさまった。
06-08 08:07

認知症ママゴンの下痢、昨朝、一番ひどい時は2,3分おきにトイレに行っていたのが、10時頃になって回数が減少。新しい紙パンツに替え、思い切って主治医に。だけど点滴等の応急処置だけしかできない、とのことで、そのまま病院へ。その間も下痢は止まらず、私はどうしていいか、わからなくなった。
06-08 08:01



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2010年06月08日(火)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/07のツイートまとめ

kiyomi_i

早朝、トイレ掃除をしながら、気づいた。昨日からの認知症ママゴンの下痢で、急激にトレイ洗いが減り、残りがあとわずかであることに。特に、クイックル、ちょいふき、といった、私の強い味方が。今日は仕事どころではない。 #kazokukaigo
06-07 08:29

下痢中の認知症ママゴン。朝、トイレを見ると、昨夜ママに履かせた紙パンツが便などと混ざって詰まっている。ポリマーってスゴいな。ものすごく水を吸収して、便器の中で目一杯に膨らんでいる。取り出すのに一苦労。 #kaigo #kazokukaigo
06-07 08:17

8時前に降り出した雨が、強くなってきた。昨夜、洗濯をして干していた、認知症ママゴンのシーツなどを、慌てて軒下に移す。今もママの汚れものが入った洗濯機が回っているというのに・・・。 #kurashiki #kazokukaigo #kaigo
06-07 08:14



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2010年06月07日(月)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/06のツイートまとめ

kiyomi_i

皆様、ご心配、励まし、アドバイスのツイート、ありがとうございます。認知症ママゴン、未だに寝床とトイレの往復で辛そう。私はママを心配しているんか、下痢の汚れを心配しているのか、自分でもよくわからないけど、今日はさすがに疲れました。ママを見守り(見張り)つつ、私も寝床へ。
06-06 22:53

認知症ママゴンの下痢で、午後からは洗濯と手洗いの繰り返し。トイレ掃除も。たった半日で、冬のように手がガサガサに。
06-06 20:32

認知症ママゴン、下痢に。今日だけでパンツ10枚、シーツ4枚洗濯。今も洗濯機が回ってる。ママに「もうパンツない」と言うと、「誰かが盗ったの?」と。「ううん、全部洗濯中。だから、これ履いてよ」と紙パンツを差し出すと、今まであんなにイヤがっていたのに、今日初めて、それも素直に履いた。
06-06 20:26

難しい問題です。認知症ママゴンを持って、わからなくなったことがいっぱい。それまではわかっていたつもりになっていただけかもしれません。考えてみます。 RT @m_i_marines: @kiyomi_i 障害者の障害者たる所以を考えてみてください。!!
06-06 09:15

@takayoshitoyama ありがとうございます。今日は運動会なんですね。準備、ご苦労様でした。がんばってください。
06-06 08:41



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2010年06月06日(日)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/05のツイートまとめ

kiyomi_i

じゃあ、認知症ママゴンにとっての冷蔵庫とは? 食べ物がたくさん入っている所、という認識はあるが、冷やす場所という認識は、もうないのかも。冷蔵庫(冷凍庫も野菜室)をごちゃごちゃいじり回したあげく、こっちのものをあっちに、あっちのものをこっちに。閉まらなくなっても平気だし。困った!
06-05 23:16

認知症ママゴンにとって、電子レンジはもはや電子レンジでない。操作の仕方がわからないのではなく、それが何をするためのものかも、わからないから。だからママに「レンジでチンして」は意味不明の言葉。
06-05 23:13

@otabe 老人施設で職員が利用者を個別リサーチできないなら「さん」と呼ぶべきなのは、私も賛成。やはり人生の先輩に対しての最低限の敬意はほしい。ただ、「ちゃん」と呼ばれる方がいいと言う人もいるので、そういう部分も含めて、それぞれの施設の特色を事前にもっとアピールしてほしい。
06-05 13:52

庭に桔梗草が咲いている! 名前の通り、桔梗によく似ているけど、桔梗よりもずっと小さな花。あなた、いつ、どうやって、うちにやって来たの? もちろんウェルカム。来年も、また、咲いてね。ちょっと、うれしい出来事。
06-05 13:30

認知症ママゴンが要介護3になり、デイサービスを利用できる日も増えた。今日ははママの通院からも解放され、朝からデイサービスに。そして私は、ゆったりと長~い朝風呂(昼風呂かも?)を満喫。体調も回復し、やっと一息つけた感じ。今日もいい天気!布団を干し、洗濯物もよく乾きそう。
06-05 13:00

@T_Matsuyama 高齢者に「やさしい」ものは、いろいろと開発されてきたようですが、認知症に「やさしい」ものって少なすぎます。せいぜい、玩具くらい? それとも私が知らないだけかな?
06-05 00:32

仕事から戻ってくると、ジャージャーと水音。外の洗い場の蛇口から大量の水が。慌てて水を止める。家に入ると、ピーピー音。冷凍庫が開いている!慌てて閉める。あれ、中のものが少ない?冷蔵庫を見ると、冷凍食品が。慌てて冷凍庫に移す。頼むよ、認知症ママゴン。要らないことをしないで、お願い!
06-05 00:14

@tohdamikio オフ会でせっかく@tohdamikioさんの話を聞いたのだから、できる範囲でやってみようと、昨日(6/4)から一番簡単なことだけを、できる時間だけで、ボチボチ実行。今月末にどれくらいの結果になるかな?
06-05 00:09



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2010年06月05日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

06/04のツイートまとめ

kiyomi_i

@ryokatsumoto そうなんです!特にアップルミントは雑草そのもの。一応、ミント水を作ったりはしていますが→http://bit.ly/cJasVF 焼け石に水。どんどん生えてきます。結局、捨ててます。だから「ほしい人、勝手に取って行って!」って感じです。
06-04 23:44

@makocoach マロウに限らず、ハーブは簡単に勝手に育ってくれます。我が家では他に、ラベンダー、カモマイル、ボックセージ、スイートバジル、ローズマリー、パセリ、イタリアンパセリ、アップルミント、スペアミント、カラミント、セントジョーンズワート、タイム、オレガノがあります。
06-04 23:23

@dyzo 確かに、牛丼を食べられると思うと、高いかも。そういえば、吉野家の倉敷北店って、あっという間につぶれちゃったみたい。立地は良さそうだったのになあ。 #kurashiki
06-04 22:54

1カ月ほど前にできた「にくまき番長 倉敷店」。今日の外出はたまたまお店の近くだったので、肉巻きおにぎりを買って、オフィスで食べた。形は違うけど、モスライスバーガーのカルビ焼き肉を思い出す味。おいしかった。けど、ちょっと高いかな。こぼれやすいので、食べ方注意。 #kurashiki
06-04 22:27

@makocoach ありがとうございます。マロウと言えば、聞こえはいいですが、要は「銭葵」です。道端でも結構咲いているのでは? 丈夫で放っておいても、はびこるほど、よく育ちます。苗は100~300円ほどですので、ぜひトライしてみてください。
06-04 22:16

@Jkimukimu @SWMaachan 「天上の蒼」は朝顔の中でも早咲きの品種のようです。この品種は今年初めて植えたのですが、昨年の我が家の朝顔の記録を見たら、6/8に「ブルースター」(品種名です)が開花していました。
06-04 22:02

マロウの花、数十輪を朝摘みし、天日乾燥させ、オフィスでマロウティーに。最初のブルーから、レモンを入れてグレーからピンクに変わる様子をとても楽しんでくれた同僚R氏。色の変化は、例えばこんな具合→http://bit.ly/9w11E3
06-04 21:54

@kaigoshi ブログ、拝見しました。ココセコムを持たせるご苦労がにじみ出ているのがわかりました。うちの認知症ママゴンが押したのは、壁にしっかり固定されている、セコムの操作パネルです。ちなみにココセコムは、ママが携帯できないのはわかっているので、持たせていません。
06-04 21:46

どんな改善案なんですか?RT @kaigoshi: 同感。私はセコムに改善案を提示しました。QT @kiyomi_i 高齢者世帯向けの緊急通報装置の設置を…(中略) 利用者の頭が正常であることを前提としている。認知症ママゴンのように、その意味がよくわからければ、単に「遊び道具」
06-04 08:09

@aimixhi @rirarirarira79 @sunufukin @YY4600AA0046boy @otabe @o_masa @unjour1961 @miyo_ron 皆さん、ありがとうございます。一晩寝て、少し落ち着きました。認知症ママゴンと仲良くできますように!
06-04 08:07

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2009年01月17日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

訪問介護の利用者都合キャンセルへのペナルティ

4月から介護報酬が3%のプラス改定となる。初めてのプラス改訂だ。

この改訂に際し、今、朝日新聞の「歩く」コーナーでは、
   「介護報酬が上がっても
というテーマが連載されている。

運営安定には足りぬ「3%増」」 と題された、1/14の記事に
   「能力的には月150万円を売り上げられる態勢だが、訪問介護利用者側のキャンセルなどで
    利用回数の変動が激しい。

とあった。

●心苦しかったキャンセル



一昨年9~12月の3ヶ月程度、訪問介護サービスを利用した。
しかし、利用期間の後半、特に最後の1ヶ月は、何度もキャンセルしてしまった。

キャンセルすることで、ホームヘルパーさんの給料も減るから、それはとても心苦しい
しかし、ママのヘルパーさんへの拒否反応は、日々強まるばかりで、ママは荒れ、私も疲れが溜まった。
ママの具合を見ながら、前日、もしくは2日前に
   「大変申し訳ございませんが、次回のサービスはキャンセルとさせてください。」
という電話を何回かかけざるを得なかった。

(ママが訪問介護を嫌がるようになった理由については、以前のブログ「ホームヘルパーと利用者とは、嫁姑の関係に似ている?」、「相性だけでなく、「お世話してあげる」態度への拒否ではないか?」、「ごめんね、ママ。くみ取れなかったママの意向」 をご覧ください。) 

訪問介護サービスのキャンセル料は、
   ・前日までのキャンセル・・・一切なし
   ・当日のキャンセル・・・100%
だった。

ほとんどの場合、前日までにキャンセルを入れていたので、料金を払う必要は無かったが、本当に心苦しかった

●訪問介護サービスを止める、踏ん切りがついた一言



ママの様子、そして私の精神的負担から、訪問介護サービスを止めようかと思いつつも、当時、なかなか踏ん切りがつかなかった。
なぜなら、私が東京にいる間、ママの介護(世話)をしてくれる人が必要だったから。
訪問介護サービスを止めることは、私がほとんど東京に帰れなくなってしまうと思った。

しかし、あの日、実質的に訪問介護サービスの最終日となった日、東京から自宅に戻ってきたばかりの私とヘルパーさんとで、ちょっといさかいがあった。
いさかい、というほどではない。疲れて帰ってきた私は、ヘルパーさんの言葉に棘(とげ)を感じ、私の言葉もきつい調子になってしまった。

そして、ヘルパーさんから出た言葉。

   「キャンセルばかりして、あなたは社会人なのに、それが迷惑
    だってことが、どうしてわからないの?


わかってる。だから、とても苦しい。
でも、キャンセルしているのはこちらだし、言われて当然だとも思った。私は
   「本当に申し訳ございません。」
とだけ言った。
ここで私が言い訳をすれば、さらにヘルパーさんと私とはヒートアップしただろうから。

結局、この一言で、私は踏ん切りが付いた。

●キャンセル料があった方が、いっそ使い易い



私はキャンセルをしたくってしたわけではない。
しかし、キャンセルはキャンセル。
キャンセルによって、ヘルパーさんは直接の不利益を被る

それならば、利用者都合のキャンセルには、もう少し厳しいキャンセル規程があった方が、
結局、「どうすれば、キャンセルを少なくできるか」に、お互いがもっと向き合うと思う。


うちの場合、サービス利用中に、私から介護事業者に相談をしなかったし、
介護事業者からもキャンセルが増えた理由を一度も尋ねては来なかったから。

お金が絡めば、関係者が真剣に考えるようになり、少しでも、良い方向に行くのではないだろうか。



今後また、訪問介護サービスを利用したいと思っても、キャンセルが心苦しくて、今のままでは使えそうにない。
もし、キャンセルをすることがあっても、キャンセル料をきちんと払えた方が、心の負担は少し減り、私にとっては使い易いサービスとなるはず。

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テーマ:認知症の介護 - ジャンル:福祉・ボランティア

2008年08月23日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

ママはインディだったから・・・

ママはインディだったと思うし、ある意味、今でもインディな部分がしっかりある。

●ところでインディって?



  インディ = インディペンデント (independent) = 自立した、独り立ちした

という意味。

これを命名したのは、経済評論家としても人気がある勝間和代さんの「インディでいこう!」のはず。
(この本は、下記のように書名を変えて(内容もアップデートして)出ていますので、ご興味ある方はぜひ読んでみてください。)

勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 022)勝間和代のインディペンデントな生き方 実践ガイド (ディスカヴァー携書 022)
(2008/03/01)
勝間 和代

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この中で勝間さんはインディの条件として
   1.年収600万円以上を稼げる
   2.自慢できるパートナーがいる
   3.年をとるほど、すてきになっていく

という3つをあげているのだけど、ママが完全に当てはまっていた(あくまで過去形)のは、1番のみ。

●でもやはりママはインディだったと思う



ママがインディだったと思うのは、少なくともウェンディではなかったから。

ウェンディの本の中での説明は、
   ピーター・パンのヒロインのウェンディのことで、独立することを避けて子供のままでいたい
   という気持ちをもった、要は依存心の強い、インディとは反対の人

なので、ママには全く当てはまらない。

多分、私のイメージでのインディとは、経済的・精神的に自立した人 なんだと思う。
そういう意味で、ママはインディだった。

●ママの生い立ちと家族



ママは18歳の頃、父(私の祖父)を癌で亡くし、無職の母(私の祖母)と、中学生と小学生の妹2人を養っていかなければならなくなった。合格していた東京の大学も入学金が払えず、入学取り消しとなってしまい、アルバイトで家計を支えた。
1年後、奨学金を受けて、一番お金のかからない地元大学に入り、アルバイトをしながら2年コースを卒業し、小学校の教員となった。(当時は教員不足だったため2年コースがあったらしい。また奨学金は5年間教員をすれば、返還不要になるものを利用した。)
当時、女性が男性と同じように働ける職場として、ママは教員の道を選んだ、と。

小さい頃、祖母から、その当時の話は聞かされていた。祖母は、ママにかわいそうなことをした、とよく言っていた。

ママは家族を養っていくために、家に残って教員の仕事を続けた。
そして父と結婚し、私という子供を授かった。
が、私が3歳の頃、父の勤めていた会社は倒産した。父は、その後、職や住所を転々とするようになり、家を離れた。借金を抱えては、母に金を無心するために、年に1,2度戻ってくるという生活となった。
私が15歳の頃、家に戻ってきた父は、そのまま家に居着き、仕事をせず、昼から飲み歩くというプー太郎生活を続けるようになった。(結局、父は死ぬまでそうしていた。)

そんな中でママは、一家の大黒柱唯一の稼ぎ手として教員を続け、家族を養い、私を大学まで出してくれた。

●ママのがんばり



子供の私から見ても、ママはがんばっているなあ、と思っていた。

食事作りは祖母の担当だが、買い物はママがよくしていた。
当時、うちには車がなかったし、祖母は自転車に乗れなかったので、近場しか出歩けない。それでママが学校から帰る途中、買い物をしていた。

そのため、学校には遅くまで残れないから、家に帰り、夕食を済ませてから、ママは夜、毎日、テストの採点や、授業や宿題で使う問題の作成なんかをしていた。

私も小学生の頃から、ガリ版刷りや採点の集計や算数の文章問題作成なんかを手伝っていた。手伝っていたというより、手伝わせてもらっていた、というのが正しい。
なぜなら、私はママと一緒にいたかったから。ママもそれをわかってか、自分でやった方が遙かに早く終わるのだろうけど、私の手伝いを拒まなかった。

その頃は、土曜日まで学校があったから、休みは日曜日だけ。
でもママはその日曜日も、学区内の行事(ドブ掃除なんかが多い)があれば、必ず一緒にやっていたので、午前中は家にいないことも多かった。

朝は朝で早かった。
ママはよくこう言っていた。
まだ誰も来ていない学校に行って、自分で門を開けて、花壇に水やりをして、子供がやって来るのを待つのが好き。

●そしてママは校長になった



ママは少しずつ昇進もしていき、教頭になり、最終的には、当時まだ少なかった女性校長になった。

「校長先生って何やるの?」という私の質問に、ママは
学校の方針を決めたり、何かがあれば、その対処を決めて指示したり、人に会ったり。
 先生を褒めたり、叱ったりすることもあるよ。
 暇そうに見えるけど、学校内のことは、最終的に自分が決めなければいけないし、責任も取らなけ
 ればいけない。校長が迷うと、学校のみんなが困ってしまうから。

と言っていたのを思い出す。

ママは家の中でも、職場でも、どんどん自分で考えて判断していかなければならない立場になっていた。

でも、それはママが二十歳前からずっとやってきたことだし、決して苦痛ではなく、むしろ、その方が楽だったに違いない。

そしてママは定年退職を迎えたとき、その退職金で、家を建て替えた。
父と一緒に図面を引き、自分たちの老後に暮らしやすいであろう家を考え、2階建ての古い家は、平屋のバリアフリー住宅となった。

●ママの背中を見てきた私



私は、ママと、そして自分の家族から、
  親や夫に頼ることなく
  自分と自分の子供が生活していけるだけの経済力を持たなければならない
ことを自然と学び取った。

そして、働き続けることの大切さ も。
だって、ママは辞めることなく働き続けたからこそ、最後に校長になれたのだから。

だから、私にとって、働くことは、まず最低限の経済力をつけるためのものだった。
実際、私は、学校を卒業以来、ずっと働いている。
私の場合、ママのようにフルタイム&教員一筋ではなく、働き方や働く時間を変えては来たけれど。

●私が持つ恐怖と、ママの影響



ママが途中で辞めないで得た結果を見てきたから、そして父も見てきたから、
実は、私は、仕事を完全に辞めてしまうことへの恐怖
が人一倍強い。

在宅介護社長業。そのどちらか一つだけを選べないのは、この恐怖が根本にあるから。

こう考えてみると、私の人生は、ママの影響が極めて大きい。
「子は親の背中を見て育つ」とは、よく言ったものだ。

ママがインディだったから、やはり私もそうなる方を自然と選んだ。

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2008年08月07日(木)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

相性だけでなく、「お世話してあげる」態度への拒否ではないか?

介護の専門家であるmasa氏のブログ「masaの介護福祉情報裏板」を拝読しているが、その中でも8/4「対人援助と相性」は、私にとって、非常に興味深い内容だった。
特に以下の部分は、納得できると共に、自分自身への反省を感じた点でもある。

   「無意識のうちに相手の行動や言葉に拒否的な心が動くと、介護者側の態度や言葉に
    それが表れたりする。


   「人間だから相性が合わないということもあることを否定しないが、相性をあわせられな
    い理由が自分の側にないかと考える義務は専門職ならば当然にあるだろう。何でも
    相性で片付けることは良くないと思う。


●ホームヘルパーさんに馴染もうとがんばっていたママ



訪問介護サービスを受け始めてから3ヶ月にも満たない昨年(2007年)12月初旬には、サービスを受けるのを止めてしまった

それは、ママがホームヘルパーさんを拒否するようになったからだ。
私自身の訪問介護サービスへの理解の少なさが、ママに代わって要望を伝えることができなかったことが大きい。 (反省を込めた「ごめんね、ママ。くみ取れなかったママの意向」に、そのあたりのことを書いている。)

ママは最初からホームヘルパーさんを嫌っていたわけでなく、むしろ、馴染もうと努力したと、私は思っている。本当に最初の1ヶ月半は、ママもがんばっていた。

だってママは、私にヘルパーさんのことを
ハキハキとして、明るくいい人ね。おいしい料理も作ってくださる。
と褒めていたから。
でも、それは、娘である私への気遣いだったのかもしれないとも思っている。

●ホームヘルパーさんを拒否するようになったママ



11月に入った頃から、ママは笑顔が少なくなり、
人が来ると、疲れる。
という言葉が増えた。
私が 「**さん(←ヘルパーさんの名前)が来るのは、いついつだからね。」 と言うと、ママの顔色は明らかに曇っていった。

そのうち、泣いて嫌がる時さえ、出てくるようになった。

●訪問介護サービスを止めてからの周りの反応



いつもママのことを気にかけてくれている、近所の方、ママの仲のいい友達、親戚に、サービスを止めたことを私が伝えた。その人たちは、一度以上はヘルパーさんとも顔を合わせたことがあるのだが、
   「やっぱり? 何かお母さんとは相性が合わないと思っていたけど、kiyomiちゃんの
    前では、今まで言えなかったのよ。

と、皆、口を揃えたように言う。
これには驚いた。かえって、その中にいるよりも、外から見る方がわかることもある。

でも、「相性」という一言で済ませてしまっては、その時の運次第となってしまい、サービスを受ける側からすれば、釈然としない。

たまたま入った食べ物屋さんがマズかったり、たまたま乗ったタクシーの運転手さんが横柄だったりして、「外した!」と思うことはあるが、介護サービスを受けるのは、1回こっきりの不運では済ませられないのだから。

●ママが嫌がったのは



後になって、はっきりとわかったけど、ママが嫌がったのは、
   お世話してあげる という 態度
だったのだと思う。

もちろんヘルパーさんに、そういう意識はなかっただろう。でも、本人さえ気づかない、心の奥底にあったのではないだろうか?
私自身が、ママの介護を始めた頃、そうだったから。

がんばればがんばるほど、お世話してあげる、になってしまう
本人はわからないけど、そういう時は、きっと力み過ぎている

だから、自分が正しいと思う価値観を、無意識のうちに押しつけてしまうし、
無意識のうちに、上から目線になってしまう。

ママは認知症だからこそ、それを敏感に感じ取り、素直に拒否反応を示した
と私は思っている。

私は介護の専門ではなく、ド素人であるが、
介護職に就く方が、「相性を合わせられない」と感じた時
   お世話してあげる気持ちになっていないか
を、まず一番に考えてみてほしい。

そして、もし、自分の中のその気持ちがあった場合、それに気づいた瞬間に、解決の糸口が開けてくるのではないか、と思う。



それにしても、ママはスゴい
こうして、今でさえ、私にいろいろなことを考えさせ、そして、教えてくれているのだから。

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2008年07月20日(日)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

あの頃、私は急ぎ過ぎていた

照りつける太陽は、今の生活が間もなく1年になることを、否が応でも教えてくれる。

差し迫った最低限の仕事だけを片付け、実家に戻ってきたばかりの頃(2007年9月)、
私は急ぎ過ぎていた と、今振り返ると、そう思う。

●ママの気持ちに寄り添っていなかった「ママのため」



急ぎ過ぎていただけではない。
「とにかく認知症が進行しつつあるママを介護しなければ」という自分が勝手に課した義務を何とか上手く果たそうと、ママの気持ちに寄り添っていなかったことにも、もっと後になって気づくことになる。

まるで何かに駆り立てられるかのように、
   ・訪問介護の契約と利用開始
   ・自動消火器の設置
   ・グループホームの見学
   ・セコムと契約し、センサーや煙報知機の設置
   ・ママ用のケータイ購入
等々、短期間の間に立て続けに実施していった。

今思い起こしても、厳しい残暑が続く中、実家のことが何もわからない、混乱状態の中で、よくやったなあ、と、自分ながら感心する面もある。

「私が何とかしなければ。」
その気持ちが強かったのは確かだ。

●完全にママは置いてきぼり



当のママといえば、あの当時、

   激しい混乱 と、
    と、
   無気力 とに、

支配され、ランダムにどれかの状態が強く表れていた。

だからこそ、私が、他人の力・ITの力を上手に借りつつ、ママの介護体制を整えたい、と思ったのも無理はない。
そして、介護社長業を両立させるためにも ・・・ 。


●なぜ特養でのことだけ、そんなに覚えてるの?



もともとママは、施設に行くのを嫌がっていたが、先日のショートステイ失敗は、それに拍車をかけた。

嫌なことは、よく覚えているのか、父の葬式の記憶さえ全くないのに、特養(特別養護老人ホーム)でのことは、部分的に鮮明に覚えていた。

ママは

「やりたくもないのに、ぬり絵をやらされた
 隣りでおばあさんもやっていたが、ただぐちゃぐちゃに線を描いているだけで、ぬり絵じゃない。
 でも仕方ないから、ぬり絵をやったら、そこの人たちが『お上手ですねぇ』って、褒めるけど、
 ちっともうれしくない。私をバカにして!!
 大体、私は***(←その特養がある地名)なんて、昔っから嫌いなのよ!」

と、特養での出来事だけでなく、今まで一度も聞いたことがないような悪口まで言う。
坊主憎けれりゃあ袈裟まで憎い、とは、まさにこのことなんだなあ、と思った。

とにかく、ママが施設には絶対行きたくない、絶対行かないことだけは確認できた。


●とにもかくにも訪問介護スタート



そうなると、残された道は、訪問介護サービスだ。

訪問介護にも、ママはあまり気乗りしない感じは受けたが、それでも積極的な拒絶を示すこともなかったので、私は話を進めた。

ケアマネージャさん、訪問介護事業所の代表の方がいらっしゃって、今後の話をした。
そこにはママも同席していた。
ママは途中、ほとんど口を挟むこともなく、黙って座っていたが、
最後に、その方々が 「これからよろしくお願いします。」 というのに応え、

こちらこそ、よろしくお願いします。
と、私が驚くほど、ママは、礼儀正しく、しっかりと言葉を発した

この様子を見て、私は、とてもホッとした

先日精神病院での私の土下座姿を見て、涙してくれたケアマネージャさんも、ママのこの言葉に、一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに笑顔に変わった。

こうして、とにもかくにも訪問介護がスタートすることになった。

私はママが訪問介護を受け入れてくれた、という安堵だけで、
ママの「お願いします」という挨拶の真意など、この時、私は知る由なかった



訪問介護のことや、ママの真意については、また、別の日に記したいと思います。

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2008年07月15日(火)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

ショートステイ失敗。精神病院へ迎えに行った日

●3日間だけ、緊急避難的に預かって!



父の急死というXデー当日、実家に戻っての介護を即断した。

が、一旦はどうしても東京に戻らなければならなかった
通夜が8/26、本葬と初七日が8/27。8/28夜には東京に戻り、今月中にどうしても済ませなければならない仕事を片付け、8/31か9/1に実家に戻ってこよう、と思った。

その間、ママをどうするかが最大の問題だった。
だれもがママの状態を見て「独りにさせておくことはできない」と思った。どこかの施設で預かってもらうしか手はなかった。

葬儀で集まってきた親戚のうち、父の妹、母の妹たち(要は私の叔母たち)が力を貸してくれた。(なぜかこういう時、男性は役立たないと思うのは、私の偏見?)
私が実質的な喪主として葬儀の取り仕切りや、ママの世話をやっている間に、叔母たちが、支援を受けるための適切な所へ連絡を取ってくれた。

●何とかママの受け入れ先が決まる



叔母たちが必死でお願いしてくれた甲斐あって、葬式当日の夕方、地域包括支援センターから、当学区担当の保健師さんが訪ねて来てくださった。
初七日の途中だったこともあり、まずは叔母たちが事情を説明してくれた。
保健師さんはすぐさま、どこかしらに連絡を取り、受け入れ先があるかどうかを調べてくれた。

その連絡を待っている間に、私とママが呼ばれ、話をした。
その頃ののママは、父の死と、多くの人が入れ替わりやってくる目まぐるしさで、すでに頭がオーバーヒートしていたのが、暑くて疲れ切っていたのか、ぼんやりと無表情で、反応も鈍かった

しばらくしてから、数kmほど離れたところにある特別養護老人ホーム(略して特養)で預かってくれそうだ、という連絡が入った。

次の日の午前、その保健婦さんと共に、特養に所属するケアマネージャーさんが訪れ、ショートステイに関する説明等があった。

しかし、ママは全く行きたがらなかった
独りで大丈夫! 何でみんなで寄ってたかって、いらぬ世話ばかりするんだ!」
と怒った。

こういうことはよくあるそうで、ケアマネージャさん曰く、
「午後に車で迎えに来ます。複数の女性スタッフも同行させますから、大丈夫ですよ。」
とのこと。

特養からお迎えのワゴン車がやって来た



ママは素直に車に乗るはずがない、と思ってはいたが、やはり、その通りになった。
特養スタッフの勧めもあり、「私、ママと一緒に行ってみたい所がある」と、私も一緒に乗り込んだら、やっとママも乗ってくれた。

特養に到着し、少しの間、ママと一緒にいた。
そして、ママは職員さんに呼ばれ、どこかに行った。
ママの背中に「だまして連れてきてゴメンね。勘弁してね、ママ。」と心の中で言った。

その後、別の職員さんが、「お母さんは確かにお預かりしましたので、安心してお帰りください。」と私の所にやって来た。
私も安心し、タクシーを呼んで家に戻った。

●1時間後、青天の霹靂



その後、東京に戻るべく準備をしていたが、1時間経つか経たないかのうちに、特養から電話が来た。
お母さんを精神病院に連れて行きました
 暴れ出して手がつけられません。とにかくすぐに病院の方に来てください


まさに青天の霹靂とはこのこと。予想外の事態だった。

それでも、東京に帰らなければならないので、東京方面に帰る親戚と一緒にタクシーに乗り、精神病院に向かった。この特養のすぐ近くに精神病院がある。

タクシーさんには待機してもらい、病院に入ると、怒りと哀しみで半狂乱になったママがいた
ケアマネージャさんも特養のスタッフも、私も、ママを一生懸命説得するが、収まらない。

嫌じゃ、嫌じゃ、こんな所。家に帰る!

鎮静剤も飲ませたらしいが、効果が表れない。

私はママの前で土下座して、泣きながら懇願した。
どうか3日間だけ、施設にいてください。みんな、良くしてくれますから。私の一生のお願いです。

しかし、それもママには届かなかった。

精神病院の先生が冷静な口調で言った。
「残念ですけど、今はいくら押し問答しても、お母さんはわかってくれませんよ。
 かと言って、これでは到底、施設で預かれる状態ではないし、ここへの入院も今日は無理で
 す。一旦、娘さんが連れて帰るしか、ないですよ。」

確かに先生の言うとおり。
長い時間、タクシーを待たせてしまったが、私はタクシーから自分の荷物だけを降ろした。親戚にはそのままタクシーで駅に向かってもらうことにした。

●結局、出戻り



ママ、一緒にうちに戻ろう。」

その言葉を聞いた途端、ママから怒りの表情が消えた。まるで「風の谷のナウシカ」で赤いオームが青くなっていくみたいに。

仕事のこと、ママのこと、いろんなことが私の頭の中で渦を巻いていた。
それでも、ママがほんの少し笑顔を見せてくれたことに、ほっとした。

●家に着いてから



無事家に戻り、ママは一気に疲れが出たのか、家に上がるなり、キッチンでそのまま横になって眠ってしまった

慌てて私は精神病院に電話し、指示を仰いだ。
「大いびきをかいているわけではないので、そのまま様子を見てください。疲れと薬のせいで眠く
 なっただけですから。途中で目を覚ませば、ふとんまで連れて行ってあげてください。」

ママ、ごめんね。」
眠っているママに呟いた。

そして、叔母たちに電話し、SOSを求めた。

●叔母たちの連係プレーに感謝!感謝!



次の日、私は東京に帰ることができた。
家に戻ったばかりの叔母たちも、またすぐに岡山に来てくれ、交替で泊まり込み、私がいない間、ママの面倒を見てくれたのだ。

叔母たちの温かい協力で、私は東京での仕事を何とか終え、約束通り、岡山に戻ってきた。



私は肉体的にも精神的にも疲れがピークに達していたが、何とか8月を乗り切ることができた。

でも、今回のことで、実家に戻る決意をしたとはいえ、それがとても甘い見通しの上での決意だったのではないか、と思わざるを得なかった。


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2008年07月05日(土)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

天からもらった母子の時間

ブログのタイトルにもした
ママの認知症は天からの贈り物」、
私は心からそう思っている。

ママが認知症にならなければ、きっと今も私はママと離れて暮らしているはず。
独居老人となったママのことを心配しつつも、実家に戻る決意はできなかっただろう。

ママが認知症になって、独りでの生活ができなくなったからこそ、私は戻る決意ができた。
そして、母子が一緒にいる時間は、まさに天からの贈り物だと思っている。

●子供の頃、そして家族のこと



ママはずっと小学校の教員として定年まで働いていた
家に帰ってからも、テストの採点や、ガリ版で教材作成に励んでいたママの後ろ姿を思い出す。
それに昔は週休1日だし、その日曜日も勤務先学区の行事(どぶさらい、掃除なんか)によく借り出されていたから、ママとゆっくり過ごす時間は少なかった。

私はおばあちゃん子で、おばあちゃんを大好きだったけど、それでもママともっと一緒にいたかった。
入学式や参観日、ママが来てくれないのを本当に寂しく思っていた。
唯一、小学校の卒業式だけは、泣いて頼んで、来てもらった。ママが来てくれた、という、もの凄いうれしさを今でも鮮明に覚えている。

私が10歳くらいの頃、ママは時々、泣いて帰ってくることがあった。それまでママの涙はほとんど見たことがなかったから、
「そんなに辛いのなら、先生を辞めちゃえばいいのに。」
という私に、ママは
「今辞めたら、あなたを養えなくなる。たまには辛いけど、がんばるから心配しないで。」
と言う。

子供心に何だかジーンと来た。

当時、私の家族はママ以外に、祖母(母の母)がいた。父はほとんど行方不明状態で、1~2年に一度、借金を抱えて家に戻ってくるという有様だった。
だから、一家の大黒柱はママだった。

私が中学3年生の途中、突然、父は家に戻ってきて、その後、もうどこにもいかなかったのだが、仕事にも就かなかった。

そして私は大きくなり、大学進学も就職も地元ではしなかった。
一度、再就職で地元に戻ってきたが、数ヶ月後には東京転勤となった。その後、東京で家族も家も持ったため、実家で過ごすことはなくなっていた。

●思いは叶う?



二十数年間、ママと私は別々に暮らしていた。
小さい頃、あんなにママと一緒にいたいと思っていたにもかかわらず、現実は違った。
ママだって、娘ともっと一緒にいたい、という気持ちは、親としての当然持っていただろう。
女手一つで私を育ててくれたママに恩返しもしたかった


図らずも、ママが認知症になったからこそ、その思いを実現できる日がやって来た。
もし、認知症でなく、他の病気であれば、表向きは私の介護を断っただろう。
「娘に迷惑をかけたくない」と。

だから、ママの認知症必然だった、のではないかと思っている。
そう、それこそ、まさしく、何の行動も起こせなかった私の背中を押してくれた、天からの贈り物なんだ、と心から思い、感謝している。

そして、この思いこそ、私自身をも支えている

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2008年07月04日(金)    [カテゴリ: 在宅介護のいきさつ、家族のこと]

父が死んだ日。会社とママを天秤にかけた即断。

はじめまして。kiyomiです。お越しいただき、ありがとうございます。

今の生活に入って約10ヶ月。月日が経つのは早いもので、会社では私がいないまま、6月末に期末を迎え、7月から新たな年度に入りました。
これを機に、私も何か新しいことを始めてみようと思い、このブログ開設に至ったわけです。

最初の記事として、実家での介護生活を始めた動機などを書きたいと思います。



●突然やって来たXデー



以前から漠然と考えていたのが親の介護です。私は一人っ子なので、「いつかは」親の面倒を見なければならない日が来ると思っていました。

でも、その日は、突然やって来たのです。(多くの方々もきっと「突然」でしょう。)
2007年8月25日(土)朝、実家のご近所さんから、父が亡くなったとの電話連絡を受けました。

父は数年前から脳梗塞で右半身が不自由な状態でしたが、リハビリの成果もあり、ずっと容態は落ち着いていました。同じ頃から認知症の症状があった母と夫婦で暮らしていたのです。次第に母の認知症は進んでいましたが、進行を抑える薬(アリセプト)を飲むくらいで、何ら変わりない生活が続いていたはずでした。

慌てて帰省した私を待ちかまえていたのは、
 ・父の葬儀の一切の取り仕切り
 ・ママをこれからどうするか
ということでした。駆けつけた親族も、ママのあまりの様子のおかしさに唖然としつつも、私への同情を寄せていました。

●Xデーの決断



葬儀の段取り等の相談や今日やるべき準備などが一通り終わった時には、すでに日暮れも過ぎ、虫の音が癒しの鈴のように響いてきました。
その音色の中、私は
 ・会社と今までの東京での生活
 ・実家でのママの介護
を天秤にかけ、ほとんど迷うことなく、後者を選んでいた自分に気づくのです。


会社は私がいなくてもスタッフがいる。スタッフは五体満足だ。私がいなくても何とかなるに違いない。
でもママは、もう自分で生活ができないかもしれない。ママには私しかいない。


瞬時にそういう考えが駆け巡っていました。

案の定、ママは父が死んだこともよくわからないようで、葬儀会場でも「ここはどこ? 何をしにきたのか?」と何度も私に尋ねます。

ここまで認知症が進行しているとは ・・・ 。
もう迷っている暇はありませんでした。
今まで介護家族が書いた手記や本などで、「あの時、もっと早く手を打てば良かった。後悔している。」というような内容を読んでいたのが幸いしたのかもしれません。

そして、実家・岡山での在宅介護の日々が始まったのです。




なぜ施設に預けないか? は、また別の日に書きたいと思います。



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kiyomi

Author:kiyomi
認知症の母(要介護4)の介護で、4年半前から東京(自宅)~岡山(実家)を往復するも、心身共に疲れ果て、ついに2010年7月月末、経営していた会社の東京オフィスを閉鎖し、地元に一元化。
この経験から、もっと介護情報を流通できれば、もう少し介護生活を楽にできるのではないかと、2009年12月、倉敷市くらしきベンチャーオフィスにて、株式会社ハートバードを設立。2010/2/5、岡山県の介護・シニア・福祉情報ポータルサイト「介護ん!」運営をスタート。2012年3月、NPO法人介護ん設立。
性格は、良くも悪くも、呑気、楽天家、マイペース。趣味は草花を見て歩くこと。
ブログ開設:2008年7月4日
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